語り合いの場とは
語り合いの場とは
「戦争の時代を生き延びた人びとは、その後どんな想いで日々を生きてこられたのだろう」
私がこの問いを抱いたのは、大学生のころ、卒業論文のテーマとして「沖縄戦」を選んだときのことでした。
当時、すでに精神保健の調査などでは、沖縄では戦争が原因と思われる精神的な不調が多く報告されていました。私が調査を行った2000年は、沖縄戦から55年が経った年でした。
2度の調査を通して強く感じたのは、「戦争はまだ終わっていない」ということでした。
半世紀以上たっても、戦争による苦しみを抱えながら暮らしておられる方が多くいました。
それは私にとって驚きはなく、むしろ当然だろうと感じていました。
あれだけの激しい地上戦を経験したのですから。
「戦場だった土地で暮らす」ということはどういうことなのか――
沖縄戦が終わっても、米軍基地に関わる事件や事故が繰り返され、戦争を思い出させるような出来事が今も続いています。
そうした中で、語ってくださった方々の言葉に、私は強く心を動かされました。
「戦争の話は、誰にも話したことがない。思い出したくなくて避けてきたけど、死ぬ前に、安心して語り合えたらと思う」
「同じ時代を生きた人たちと、心おきなく語れる場があったらいい」
「戦争で苦しい思いをしたのは自分だけだと思っていたけど、みんな同じだったんだね」
戦争の体験を語る機会がほとんどなく、誰にも言えないまま抱えていた想いや記憶が、心の中でずっと「ふつふつ」としていたのだということに気づかされました。
「同じ戦世(いくさゆー)を生きた者同士で、安心して語り合える場がほしい」
戦争の痛みを抱えて生きてきた方々が、人生の終わりに「やりたい」と願っていることがあるなら、
その実現を共に目指したい――。
こうして2005年、「語り合いの場」の取り組みが始まりました。
「語り合いの場」とは
初年度は、沖縄県内7か所で会を開き、73名の方々が参加してくださいました。平均年齢は77.7歳。月に1回、セミクローズド形式で集まりました。途中から参加したい方がいらっしゃる場合は、すべてのメンバーの同意を得ました。
進め方や場所は地域ごとに異なり、ある会では「今日は戦争当時のことを話しましょう」とテーマを設けたり、別の会では散歩や地域交流の中で語りが自然に生まれたりしました。
ご家族や小学生と一緒に語る会もありました。
時には意見がぶつかることもありましたが、
お互いの気持ちや希望を尊重しながら、「どんな場にしたいか」を話し合いながら決めていくプロセスが大切にされました。

実践の流れと約束ごと

語り合いの場を始めるにあたっては、以下のような準備を行いました。
参加希望者とご家族への聞き取り
└ 参加への思い、不安、ご家族の理解などを丁寧に伺いました。
スタッフ体制の構築
└ 看護師や心理職の友人たちと協力し、見守りの体制を整えました。
会場の確保
└ 一部の会場では利用を断られることもあり、試行錯誤しながら調整しました。
説明会の開催(ご家族にも参加をお願い)
└ 語り合い後に生じる可能性のある心理的反応についても共有し、理解を得ました。
事前面接の実施
└ 少ない方で2回、多い方では30回以上、丁寧に対話を重ねて参加意思を確認しました。
準備会(どんな場にしたいかを一緒に話す時間)
└ 参加者のニーズとグループ全体の方向性を調整する大切な時間でした。
必要に応じて、別の活動へ移行する選択肢も用意しました。
1年を1つの区切りとし、次年度も参加するかどうかを確認しながら、その時々の参加者の想いに合わせて柔軟に場をつくっていく。
それが「語り合いの場」のあり方でした。

「語り合いの場」とは、安心して、何を話してもよい場。
「語る人」「聴く人」として分かれるのではなく、
共に痛みを抱えながら生きてきた人びとが、心を寄せ合い、響き合うための場です。
沈黙の中にあった言葉が、声となり、
声が人と人をつなぎ、
その対話が、未来への記憶となっていく。
そして、互いが今を生きる喜びを語り合い、笑い合う場でもありました。
それが、私たちの「ちむぐりさの語り合い」です。
