語りびとたちの記録
おじぃのオナラの話
2011年10月の語り合いの記録
ナベさん(79)・シズさん(84)の語り合い
(6人グループのうち3人の対話を抽出)
※登場人物はすべて仮名です
ナベさん(79)は少し申し訳なさそうに、でも少し笑いをこらえながら切り出した。
「こんな場所で言っていいか分からないけど……戦争の中で、笑ったことがあった」
場がしんと静まった。
「壕の中のことです。砲弾の音がしばらく遠のいた夜に、おじいが急にそわそわし始めた。何かと思ったら……」
ナベさんがそこで一度止まり、口元を押さえた。
「おじいが、大きなオナラをした」
一瞬の間があった。
「それもね、一発じゃなかった。ぶーっ、ぷっ、ぶーっ、て。三発。音の大きさも全部ちがって、音楽みたいにさ」
シズさん(84)が吹き出しそうになるのを必死にこらえながら聞いていた。
「壕の中が、静まり返ってね。みんな顔を見合わせた。そしたらおじいが涼しい顔して、『チャーガンジューよ、わんや』って。元気の証拠だよ、俺は、って」
「それで……」とシズさんが先を促した。もう肩が震えていた。
「もう、どっと笑った。声を殺して笑うもんだから、余計おかしくて。隣のおばさんが笑いすぎて涙まで流してね。おじいはますます得意顔で、『ほれ見ぃ、笑ったら元気になるやろ』って。もう一回やろうかって、本気で腰を浮かせて」
「やめてってなったでしょう」とシズさんが言った。
「なった、なった!」とナベさんも笑った。
「おばさんが『もうやめてくれ、笑い死にする』って。おじいはヘラヘラしながら、『それも上等』って言うわけ」
他のメンバーも一緒にしばらく笑い合った。
笑い声が収まったころ、ナベさんの表情がすこし変わった。
「そのおじいは……翌日に亡くなった」
シズさんの笑いも、静かに収まった。
「だから余計に……笑った自分が申し訳なくて。あんなに笑っておいて、翌日にはもう、いなくなってしまうなんて」
シズさんはしばらく黙ってから、言った。
「ねえ、ナベさん。そのおじい、三発やったんでしょう」
「……三発やった」
「一発じゃなくて、三発。腰まで浮かせて、もう一回やろうとした」
「そう」
「それはね」とシズさんは言った。
「本気でみんなを笑わせようとしていたんだと思う。自分の残り時間が分かっていたかどうかは知らないけれど……あの人は最後に、笑い声を置いていきたかったんじゃないかな」
ナベさんの目に、じわりと涙が浮かんだ。
「笑ってほしかったから、三発やった。あなたたちが笑う顔が見たくて、腰まで浮かせた。そのおじいにとって……あの笑い声は、きっと最後の贈り物だったんだと思います」
ナベさんはしばらく宙を見つめて、それからふっと笑った。
「そう思ったら……もう一回、笑えてきた」
「笑っていいんです」とシズさんも笑った。
「思う存分笑って。そのおじいが一番喜ぶでしょうから」