語りびとたちの記録
81年目の語り合い②―遺された家族の戦後
2026年初夏の語り合いの記録
山城さん(98)・比嘉さん(92)・宮里さん(103)・金城さん(95)・瑞慶覧さん(98)・吉川(50s)の語り合い
登場人物 ※すべて仮名です
- 山城(男性・98歳): 斬り込み(特攻)を強制された過去を持つ。戦後は心身の不調で職を転々とした苦労人。社会への関心が高く、常に新聞を持ち歩く。
- 比嘉(男性・92歳): 沖縄戦で家族全員を失い、戦災孤児として過酷な戦後を生き抜いた。口数は少ないが、言葉に重みがある。
- 宮里(女性・103歳): 最年長。当時20代。夫を戦争で奪われ、乳飲み子を抱えて戦後を一人で生き抜いた。包容力と厳しさを持つ。
- 金城(女性・95歳): 当時14歳。体に貫通銃創の痕がある。逃げ惑う最中に大火傷の子供を救えず置き去りにした記憶に、今も苛まれている。
- 瑞慶覧(男性・98歳):防衛隊として戦場に立つ。体調が思わしくなく、ここ数年語り合いに顔を見せていなかった。
シーン5:心が壊れたままで
- 山城さん(98歳):
- (自分の節くれ立った両手をじっと見つめながら、ぽつりと)
「さっきのラジオで、照屋さんの言葉があったさね……『引き金を引いたその手で、今もここにいる』っちゅう。津嘉山さんが静かに読むからよ、余計に胸に突き刺さってな。……わしもよ、沖縄戦の後の何十年、自分の心がいつ破裂するか分からんかったわけさ」 - 金城さん(95歳):
- (山城さんの横顔を心配そうに覗き込んで)
「山城さんも、夜が怖かったねぇ……」 - 山城さん:
- 「そうさ。夜中に突然、戦場の夢を見てな、大声を出して暴れるわけよ。当時の沖縄に『トラウマ』なんて言葉は無いから、誰もそんなの病気だなんて言ってくれん。ただの『気が狂った人』か『根性のない男』扱いさ。職を転々として、家ではいつもイライラして……。今になってな、本当に申し訳なかったと思うのは、わしのその正体の分からん怒りや狂気を、一番近くで受け止めざるを得なかった子どもたちのことさ」
- 比嘉さん(92歳):
- (湯呑みを両手で包んだまま、視線を落として)
「……子どもに、当たってしまったね」 - 山城さん:
- (小さく、深くうなずく)
「叩いたこともある。理不尽なことで、大きな声を出して怒鳴り散らした。子どもはいつも、わしの顔色を窺って怯えていたよ。わしは戦場でな、人間にされてはいけない命令をされて、心をめちゃくちゃに壊された。だけど、復員したら、その壊れた心のまま父親にならんといけんかったわけさ。戦争のトゲをな、抜けないまま家に持ち込んで、家族に刺してしまったんだはずね……」
シーン6:遺された者の「余裕のなさ」
- 宮里さん(103歳):
- (ゆっくりと首を振り、諭すような、しかし温かい声で)
「山城さん、自分を責めたらダメだよ。責めるなら、そんな心にした、あのいくさ(戦争)を責めんと。……私もな、夫を奪われて、乳飲み子を抱えて、戦後の焼け野原をがむしゃらに生きてきたさね。今日子どもに食わせる米がない、明日の命も分からん。あの頃はよ、心の余裕なんて、一ミリも無かったさ」 - 瑞慶覧さん(98歳):
- (杖を両手で支えながら、静かに尋ねる)
「宮里さんでも……子どもに厳しくしてしまうことが、ありましたか」 - 宮里さん:
- (遠くを見るような目で)
「あったさぁ。子どもがワンワン泣いてもよ、優しく抱きしめて『大丈夫だよ』なんて言ってやる暇は無かった。『うるさい!泣くな!』って怒鳴って、ひとりで寂しい思いをたくさんさせた。戦後はみんな『命どぅ宝』って言って、生き延びるために必死だった。だけどね、ただ『肉体を生かす』だけで精一杯で……子どもの心を優しく育てる、そんな当たり前の余裕なんて、国も社会も、私たち親にも、誰も与えてくれなかったんだよ」 - 金城さん:
- (ハンカチでそっと目元を押さえながら、声を詰まらせて)
「私も、あの子どもを置き去りにした罪悪感がずっと消えなくて……。自分の子どもが生まれて、大きく育っていくのを見ながらも、ふとした瞬間に、あのガマの近くで大火傷を負って泣いていた子の顔がパッと思い出して。フラッシュバックというやつさ。そうするとね、急に心が冷たくなって、自分の子どもを突き放してしまう。子どもは『お母さんは僕が嫌いなのかな』って不安だったはずね。……本当に、悪いことをした」
シーン7:次の世代へ手渡すもの
- 瑞慶覧さん:
- (静かに全員を見渡して、深い溜息とともにつぶやく)
「皆さんの話を聞いていると……戦争というのは、昭和20年の夏に終わったわけではないんですね。私たちが命からがら生き延びて、家庭を作って、その家庭という社会の目に見えない密室の中で、ずっと戦争の続きがひっそりと行われていた。それが今、子や、孫の世代の生きづらさや、心の傷に繋がっているのかもしれない」 - 比嘉さん:
- (静かに口を開く)
「わしは11歳で孤児になったから、親に叩かれた思い出は無い。だけどね、『親がどうやって子どもを愛するのか』を教えてくれる人が誰もいないまま大人になった。だから自分が親になったとき、どうやって子どもに接していいか、抱きしめていいか分からなくてな……。結局、家族を傷つけた。戦争で家族を奪われるということは、そのあとの『家族の愛し方』まで奪われるということさ」 - 山城さん:
- (しばらく沈黙したあと、顔を上げて)
「……そうだな。だからな、吉川さんから、子や孫の世代が『親から受けた沖縄戦の影響』について語り合う場を新しく作りたい、という話を聞いたとき、わしは最初、胸がチクッとしたわけさ。『ああ、わしたちはやっぱり、子どもに傷を負わせた悪い親だったか』とな。……だけど、さっきのラジオを聴いて、みんなの話を聴いていたら、違うなと思った」 - 宮里さん:
- 「どう違うね?」
- 山城さん:
- 「子どもたちが集まって語り合うのは、わしたち親の罪を責めるためじゃないはずよ。わしたちが戦後、誰にも言えずに家庭の中に隠し持って、ひとりで苦しんできた『戦争のトゲ』を、子どもたちが『これがおじぃの、おばぁの苦しみだったんだね』って、一緒に見つめて、抜こうとしてくれている営みなんじゃないか。……そう思ったらな、わしたちが生きているうちに、そのトゲの正体を、隠さずに社会へ遺しておかないといかん、と思うようになった」
- 吉川:
- 「山城さんから『私たちを加害者にするのか』と言われた時は、正直ドキッとしました。深く考えさせられました。第一世代が命がけで話してくださった語りを大切にしたいと思う私が、やるべきではないのかとも思いました。でも、子や孫の世代が、語り合いの場をつくりたいと声をあげているのは、もちろん、親の加害性を告発したいわけではなくて。そうではなくて、親が背負わされた言葉にできない戦場の影・痛みを共に理解し、自分たちの代でその痛みを引き取る(終わらせる)ためなんです。責めるためでは絶対にない、ということを今日はお話したくて」
- 宮里さん:
- (吉川の言葉を深く咀嚼するようにうなずき、山城さんを見て)
「そうだよ、山城さん。子どもたちは、私たちの敵じゃないさぁ」 - 山城さん:
- (吉川の目を見つめ返し、ふっと表情を緩めて)
「うん……分かっているよ、吉川さん。子どもたちが集まって語り合うのは、わしたち親の罪を責めるためじゃないはずね。わしたちが戦後、誰にも言えずに家庭の中に隠し持って、ひとりで苦しんできた『戦争のトゲ』を、子どもたちが『これがおじぃの、おばぁの苦しみだったんだね』って、一緒に見つめて、抜こうとしてくれている営みなんだ。……そう思ったらな、わしたちが生きているうちに、そのトゲの正体を、隠さずに社会へ遺しておかないといかん、と思うようになった」 - 金城さん:
- (涙を拭い、小さく微笑んで)
「そうねぇ……。私たちが『お母さんもあの時、本当は苦しかったんだよ』ってこの場でちゃんと言えたら、それを聞いた子どもたちも、『だからお母さんはあの時、あんな風だったんだ』って、ようやく心のつかえが取れて、救われるかもしれないね」 - 瑞慶覧さん:
- (深くうなずき、背筋を少し伸ばして)
「私たちが背負わされた、あまりにも重すぎた荷物を、次の世代が『一緒に引き受けるよ』と言ってくれている。体験者がまだ生きている今だからこそ、格好つけずに、この痛みの歴史の真実を繋いでいかないといけませんね」
③へ続く